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2012年1月19日木曜日

安全祈願

20120118

海の神様に安全祈願をしてきたそうだ。 

毎年、年初めにスロープからお神酒を供えて
安全祈願をしてきたが 今年はなかなかハーバーに行けず、今日になった。

今年も安全にセーリングができますように!

2011年7月7日木曜日

2011 北米選手権

北米選手権の全てのレースが終わりました。


初日から潮、風、運営に戸惑いながらも
最終日まで精一杯がんばったようですが、
思っていたような成績が残せませんでした。

 慢心していたわけではありません。
 油断していたわけでもありません。
 体調が不調だったわけでもありません。

   持っている力が足りなかったのです。

これからNT、世界をめざすOPセーラーのみなさん、
国内レースに出場して風がどうだったかとか、
コースがどうだったとか、運営がどうだったとか、
終わって不満の残るレースもあるかもしれません。
しかし、自分がそう思ったレースでも優勝する選手は
必ず存在するのです。

たくさんの練習と経験を積んで、
初めて経験する環境でも、戸惑わず、上位に絡めるように、
自分の技術と経験の引き出しを1つでも多く増やせるように
がんばってください。

コウシにとっての2011北米選手権、
これからセーリングを続けていく上で、
大きな経験になった大会だったと思います。


たくさんの応援本当にありがとうございました。

2011年3月15日火曜日

東北大震災

3月11日14時46分頃、三陸沖を震源とする
マグニチュード9.0の大地震が発生した。
津波、地震によって多くの方が亡くなり、
多くの方が被災された。

1人でも多くの方が助かるよう祈る。

2011年2月14日月曜日

和歌山コールドカップ

20110212~20110213

和歌山コールドカップに行ってきた。

















大阪南港に接岸、窓の外は雪で真っ白、
駐車してある車の天井にも分厚い雪が
積もっている。
最近、エンジンの調子がわるい愛車を、
雪のワダチの中を注意しながら走らす

早朝、ハナチチから仕入れた情報によると
まだ高速道路は生きているはず、
がしかし、南港南はすでに閉鎖中
仕方なく湾岸道下を和歌山方面へ走る。
ネットで見たら貝塚からはなんとかイケそう
しかし、ここもダメ。

坂道に差し掛かるとすぐにギアダウンして
しまうエンジンをごまかしながら走り
10時すぎに和歌山マリーナシティに着いた。

マリーナシティ入口で遭遇した、
アオの乗った横浜市民御一行様にレジャーに誘っていただいた。
後から連絡しまーっす!
一旦ハーバーに寄ってから即、撤収のつもりだったが
30分後には、コーチボートのハンドルを握っていた。
横殴りの雪で海上は真っ白!この天気で練習なんて有り得ない
しかし、極寒の海上で練習する選手はたくましすぎる。
バウを上に向けると、雪が目に入って痛い
これが吹雪って言うの?
和歌山でも10年ぶりの雪らしい

低学年の子供たちは午前中でギブアップ、
私もリタイアしたかった。
コウシは昼から参加し
左右の海面を確かめていた。

レース初日、
吹雪の予報は大ハズレ
昨日とは打って変わって小春日和
風待ちの間、花見のお茶会をしていた
広島のみなさんにご馳走になった。

昼食をとってから出艇
1本目、本船側有利
スタート直前、風が振れた。
本船横からスタートしてポートで
リフトを走るハメになる。
途中、ヘダーが入りタック
中央から上がってくる集団の前をきって
トップ目に見えたが、1マークには
20番前後で上がってきた。
その後また大きく左に振れて
左の集団にのまれたそうだ。16位

2本目、
1上をヨシキ、ダイチに続き通過
3マークを回り、右に行ったヨシキ、ダイチを
追わずワンタック入れ、高さを稼ぐ
風は左に振れ、左海面でポートロングの好位置に
フニッシュ100m手前まで、先行している2艇に対し
アドバンテージがあるように見えたが
ラルに入って失速、同時に右海面に右からブロー、
中央を上ってきた集団にも抜かれ11位

ここでAP-A

1日目終了

今回の宿は光、松山のみなさんと
ご一緒させていただいた。
アットホームな宿で、おいしい夕食をいただき、
反省会をし、大人の時間となった。
ハシモトさん、ハナダさんは
これがまたすごいペースで飲むわけで
ハシモトさんのナイスツッコミで
さらに話が盛り上がっていた。
コイズミさんと私は、早々にギブアップ
コイズミさんは部屋に帰り、私は2人が
盛り上がっている横で10時頃横になった。

朝かと思ったら1時30分
2人はヘリコプターの話で盛り上がっていた。

次の起きたのは4時半
娘の話で盛り上がっていた。

次に起きたのは7時
母たちに、早く起きろ!と言われ、
ほとんど寝てないハナチチも
ヨロヨロと立ち上がった。

いやー海に出ればだいじょうぶですから
てか、アナタ寝てないんですけど!
でも元気にVSRを運転していた。

2日目、3本目
Pで何回かゼネリコの後、ブラック掲揚
コウシは下イチを狙っていたが
ブラックにかかってしまった。

気を取り直し4本目
アウター側から出てしばらく走ってタック、
ポートでスターボ艇の前を切り、中央でまた戻す。
1上トップ。そのまま守ってフィニッシュ

5本目
ヨシキに続き、
昨年の北米軍団が2、3、4フィニッシュ

連休最終日でもしや渋滞するかも
ということでコウシが着岸後、閉会式にも出ずに
帰路に着いた。

宿、海上でお世話になった。光、松山のみなさん
寒い中、運営をしてくださった和歌山ジュニアのみなさん
冷えた体に暖かいスープ最高にうまかったです。
本当にありがとうございました。

帰りのフェリーで夜中に目が覚めた。
隣で寝ているコウシが寝言で一言

 「ウザイ」

寝てても親がウザイみたいだ。

2011年1月31日月曜日

寒風

20110130

7~10西のいい風が吹いた。
今年1番の寒風で手が凍りそうだった。


サカモトさんが練習を見てくださいました。
ブローでスピードロスしないように!

2011年1月13日木曜日

2011光ニューイヤーレガッタ

20110108~20110110

2011 hikari gore-tex new year regatta


山口県光市で開催された
光ニューイヤーレガッタに行ってきた。

photo by aono

















早いもので、春が来ればもう中3、
OP生活も残りわずかになった。

この頃の私もそうだったように、
息子は反抗期ド真ん中
会話は減り、たまに言葉を交せば
言い合いになる。
誰もが一度は通る道、ずっと続かなければ
正常ってことなのだろう。

雪の心配あり、夕刻5時半に宮崎を出発
時速80キロで光までの道のり520キロを
ゆっくり北上、途中SAで夕食を食べ
日付が変わってから光に入った。
この寒さではテントを張って寝るわけにいかず
選手とサポーターを車内に残し、事前に調べておいた
ネットカフェに一人チェックインした。
朝までの8時間料金1380円
フリードリンク、暖房の効いた2畳程の部屋はクッション
が良く快適に寝れた。
ブランケットを1枚持っていくと良いかもしれない。

今回、花チチのご好意で、地元宮崎で3月に開催される
SEAGAIA REGATTAの事前勉強になればと
本船に乗せていただいた。

1日目プラクティスレース













フライブリッジからスタートラインを見ると
選手の性格まで見えそうだ。
I旗が揚がり、1分を切るギリギリまでラインより上に居て、
1分を切ってからもギリギリを攻める度胸ある選手、
他艇のバウがラインだと勘違いしている選手。

この日、本番と同じコースで練習レースを4本
時間が許す限りやっていただいた。
コウシはスタート失敗が3本、
唯一、1線から出た1本も初速が無くのまれた。
何本目だったかAが1上を回ってから風が振れ
C旗が揚がり、2上が変更された。
Bがまだ1上のレグを走っているので
1上を残したままの2上変更だった。
帆走指示書に記載されてある変更マークはオレンジ、
しかし、途中で気づいた3艇以外、
全ての艇が1上黄色マークを回ってDNF。
SIをしっかり読んでほしい。
Aクラスは当たり前。2次選メンバーは・・・

また、間違ったマークを回り2マークから3マーク、
フィニッシュしてから間違っていることに気づいているのに、
誰も正しいマークに向かって走り出そうとしなかった。
DNFまではじゅうぶん時間が有り、風は中風から強風、
2上まではショートコース、十分間に合ったかもしれない、
4番になってやろうという選手はいないんかい!

夜の講習会、
その前にスポーツ交流村入寮ミーティングの最中、
おしゃべりをしていたコウシを含む3人の中2に
ムダ話をせずにしっかり聞いとけよ!とクギを刺す。
プラクティスレースのスライドを見ながら
山田寛コーチ(kANTA-RO)がわかりやすく講義して
くださった。レースの場面、場面での講義は
山田寛さんが見ればこういう捉え方もあるんだと
感激した。

第3回光ニューイヤーレガッタ初日は
9~12、280~310の強風で幕をあけた。
相変わらず、飛び出すスタートはできていない。
1レース目、2863カツに続いて2番で下ってきた。













カツが2上で吹かれ順位が逆転、
あまりにも酷すぎる。

2本目は3マークを回り手堅く抑えた。


後のレース、前に出れるチャンスはあったものの、
抜けなかったが、なんとかシングルでまとめた。

1日目4本やって終了!

夜のレセプションは、たくさんのおいしい料理と
豪華な景品で盛り上がった。
ヤシママリーンサービス、GORETEX JAPAN、kANTA-RO他
たくさんの景品をありがとうございました。
初日暫定1位の抱負で
「光に来るのは最後なので悔いの無いようにガンバリます」
と言った。訂正して
「OPで光に来るのは最後なので悔いの無いようにガンバリます」
としたい。
OPを卒業しても違う艇種でがんばってほしい。














2日目
初日とは打って変わり、海面はフラット、北風
光市は海面近くまで山が迫っているので、
陸風は良く振れ、ブローは筋のように入ってくる。
さぁーどう走るか?













レース委員長の花チチは、フライブリッジで上で
安定しない風軸と真剣に戦っていた。
ギリギリまで待っても振れる、しかし早い判断をしなければ
レース数をこなせない。風が裏目裏目に出ながらも的確に判断し
1本1本こなしていく。
マークボートも動きが早く本船からの指示を的確にこなしていた。
この日、東から左回りに1周する風の中
3本やってのけたのは、運営の実力だろう。

2日目、1上の順位は10~15位
リーチング、フリーで少し上げ、
2上では風を良く見て走っていた。
「後続との距離があったので、途中、勝負をかけてみた」
と少しは周りが見えていたようだ。


子供たちは1レース1レース
勝っても負けても確実に成長している。

光ジュニアの皆さん、山口県連のみなさん
高校生、大島商船のみなさん
すばらしい大会をありがとうございました。
忘れられない光レガッタになりました。

今春、西日本水域を去る須河内さん













8年間、お世話になりました。
なんでもわかり易い言葉で教えてくれました。
選手にきびしく、誰もが一度は怒鳴られたはず。
教えていただいたこと、あなたの声を
子供たちはずっと忘れないでしょう。
長い間、ありがとうございました。










































KANTA-ROの山田寛さんジャパンゴアテックスの池上さんと

2010年12月29日水曜日

後藤眞宏先生

20101229

後藤眞宏先生が永眠されました。

ゴトー先生、ありがとうございました。



























2010年12月14日火曜日

恩師

20101212

週末、みやざきサンマリーナで
高校新人戦、県大会が開催された。


校長先生が・・・というムラハシ先生の
声が耳に入った。


 本当に来るのですか?

ええ来られますよ。

目と鼻の先の海洋高校にその方がいると知りながら
会えないまま?会わないまま?
もう1年半が経とうとしている 
ついに、28年ぶりにその時がやってきた。

その方は笠野謙次先生
我が母校のラグビー部を率い、黄金時代を築いた。
宮崎のラグビー関係者で笠野先生を知らない人はいないだろう。
先生は私の高3の頃の担任だった。
当時、現役ラグビー選手を思わせる強面の風貌で
ラグビー部から「大将」と呼ばれていた。
もちろん「大将」に逆らう生徒などいなかった。
私はラグビー部ではなかったので
「大将」の本当の恐ろしさを知らなかったが、
百叩きを2回、5厘(毛の無いボウズ)も1回経験した。
5厘ははずかしいだけだったが、百叩きは、
雑巾を先に付ける木製モップの柄で100回叩かれ、
尻が痛くて2日間椅子に座れなかった。
こう書くと、こそばゆいくらいのことのように
聞こえるが、3発目にはこれが後97回続くのか
と思うほど強烈だった。
何故叩かれたのかは覚えていない。
それで謹慎をまぬがれたような・・
古き良き時代だった。

宮崎海洋高校校長の「大将」は
開会式、閉会式の間だけ会場にいた。
大将は閉会式の後、ヨット大会の感想を
指導者視線の辛口で私に話してくれた。
その時の「大将」の目はあの頃と変わらない
ギラギラした目だった。

で、大会の方は、
私はサカモトさんと郵貯号に乗り
アウターマークを担当した。

コウシは2日目の県民体育大会に
ヨコヤマくんとFJで出場
スタートしてしばらく走っていたが、
最初のレグの中盤にさしかかる前
派手にオーバーヒール沈
ヨコヤマくんがトラピーズで出ているのに
船を回したらしい。

 アホか

ヨコヤマくんは、たぶん高校最後の
レースだったろうに

2010年12月8日水曜日

協力者会議

20101207

鹿屋体育大学で開催された
鹿屋体育大学海洋スポーツセンター協力者会議
に参加させていただいた。

各地域で海辺のスポーツの体験事業をされている
3名の方の講演を拝聴し、その後、意見交換があった。

耳に残ったのは、
・都会は参加費が高くても参加者が集う
・たくさんの参加はあるが歩留まりが悪い
・指導側のボランティアにも会費をお支払いいただいている
・毎年、補助金を確保できている

大学の先生方、各県指導者の方の貴重なお話を聞くことができた。
有意義な時間をありがとうございました。


鹿屋体育大学には
海洋スポーツセンターという施設がある。
そこには海の専門家、セーリングのスペシャリストと共に
すばらしい設備もある。
許されるなら、これからも地域やセーリングのために
この素晴らしい人と物を提供し続けてほしい。

来年の学長杯、鹿屋カップ、楽しみです。

2010年12月6日月曜日

愛情って

20101205

コウシは修学旅行
早朝、空港から大阪へ

修学旅行が坊ちゃんカップとかぶった。
今年も行くはずやったのに・・残念!

他の子供たちも休みなので、
レーザー釣り師と元磯釣り師は
30オーバーのアジを入れ食いするはずだった。
しかし、しかし
風も無く絶好の釣り日和だったのに
1日中、竿はピクリともしなかった。
まぁいっか のんびりできた!


ケンチキを買い
夜、獣医ドリトルを見た。
ドリトルが客に説教をする。

都合の良い時だけ、かわいがるのが愛情か?

 愛情って言うのは、
 自分の時間を犠牲にしてでも相手に時間を割いてやることだ”



自分の時間を犠牲するのが愛情?マジかっ?
これを私にあてはめると

コウシに時間を割いているわけじゃない

なぜって?

自分が勝手にヨットさせたんやし、
今や、OPはアンタの趣味やからね
by ヨメ


まぁいい

自分の時間を犠牲してるなんて
思ったことないし

2010年11月29日月曜日

体重40キロ

20101128


久しぶりのいい風


260から300、平均5~7m
午後から10くらいのブローも入る。
上まで15分を数本やった

これから西が安定して吹きそう


コウシただいま40キロ

カズユキからもらったセイル
まだまだ元気

2010年11月25日木曜日

木造の軍艦

20101123


















月曜日、夜、仕事が終わって
サカグチくんと艇庫に行った。
艇整備するつもりだったが、雨も降ってて
イマイチ気分がのらずヤメにした。

帰りにエースランドで風呂に入り、
ビールを買ってウチへ
サカグチくん、結局、泊まることになった。

さぁ 行くよ!
翌朝、夜中までゲームをしていた2人を起こし、
釣り道具を積んで一路、県南へ

今日は風が無い 絶好の釣り日和のはずだった。
日南に近づくにつれ、車道脇の草木がざわざわしてきて
海に目をやるとウサギが飛んでいる。

ひさびさの風、絶好の練習日和や!

が、しかし、エサも買ったし

目井津漁協の横に車をとめ
3人それぞれの仕掛けで釣ってみるが
ピクリともこない。
それに正面から風を受けどうも釣りずらいので
場所を変えることにした。



やってきた油津港は、海上自衛隊の掃海艇が10数隻いた。
これだけまとまっていると迫力モンだ
掃海艇って機雷を処理する船で木製なんだって
マジかっ?

結局 ここでも釣れなかった。
油津の食堂で魚定食780エンを食べ
昼すぎに、日南を後にした。


スナイプ全日本、OP全日本後のリフレッシュ完了

さぁ練習っ!

2010年11月15日月曜日

サツマゴキ

20101113

10月1日の値上げを機に禁煙に挑戦、
最初はうまくいっていたが
レース観戦、夜の酒飲みで完全禁煙には失敗
これまで15本ほど吸ってしまったが、
しぶとくなんとか続けている。
ホントこれで止められるんやろか?

それと今年の夏、アオが坊主になっているのをスカイプで見て
コウシに坊主にするよう言ったが、するはずもなく
私がボウスになった。

禁煙せい?で体重が4キロも増え、
ボウズだから余計太って見えるらしく
最近、遠征先で2人のかわいいおじょうに、
ブタって呼ばれる。
秋だから止め処なくもっと太ってしまいそうなので
たまに自転車で通勤したり・・気休め

今日もハーバーにも自転車で来た。
風が無いので風待しながら修理と艇庫の片付けをした。
 1日中、風が無かった。

ギャァーーー

海洋男子の叫び声
何かと思えば、艇庫東側のドアの所に
サツマゴキブリを見つけて騒いでいる
なにも 叫ぶほどのことじゃと行ってみると
なんと、20ピキ以上いた

艇庫東側の廃材をめくると
床が見えないくらいうじゃうじゃいた。

昼から害虫駆除
殺虫剤でもなかなか死なない。
何度も何度も掃いてチリトリで取って
そのまま火の中へ
何度繰り返しただろうか
たぶん1000ヒキ以上

見えるところを駆除しただけで
艇庫の周りの草むらや木々の根元に
まだまだ繁殖しているので、
またすぐうじゃうじゃになるだろう

だれか熱帯魚のエサかなんかでいりませんか?

2010年11月12日金曜日

第42回全日本オプティミストセーリング選手権大会

20101103~20101107

第42回全日本オプティミストセーリング選手権大会
2010 山口県光市

全日本選手権に行ってきた。

photo by aono
















小5から通算4回目の出場、
2回目から2次選を意識したが、
当時を振り返れば、まだ知らないことや
足りないことがたくさんあった。
振り返る度、そう思えるように成長してもらいたい。
何につけ、自分はわかってます!知ってますでは、
新しいことは入ってこない。そのわかってることが
間違っていても修正されない。
初心を忘れず、謙虚なセーラーでいてもらいたい。


今年も、例にもれず、
初日からカットレースを作り
いきなり苦しい展開を強いられた。
このままじゃ入賞どころか、2次選がやばい
2日目も、上マークで待てど暮らせど姿が見えない
さらにカットレースを追加

本人も苦しんでいる様子、
言葉を選び励ますが、今回の光の微風は
どう走ればいいのかアドバイスできない。
私にはわからなかった。
3日目朝、昨日までのことは忘れて
今日が初日と思って走れ!と送り出す

3日目、全日初のピンをゲットし
少しだけ上げた。

最終日、陸風ながら待望の5~6の風が吹いた。
1上、上位を狙える位置で回り、
下までにトップ目まで詰めるが、
フィニッシュ前のポジションが甘く
振れに対応できず、3艇に抜かれ、5位

9レース目
前レースでは、リーチが開き気味で
角度が悪かったように見えたが、
9本目のクローズでは修正 していい感じ
上をトップで回航し、下り、フィニッシュも万全
今回2本目のトップフィニッシュ

最終10レース
コウシの組は多数のリコール艇があったが、
ゼネリコにならずにスタート、
コウシはラインを出なかったそうだ
スタートが遅れ、そのまま取り戻せず
35位フィニッシュ

4度目の全日が終わった
微風、振れる風の中、指揮をとったレース委員長の
クロカワさんはじめ、光ジュニア、山口県連、
広島、松山ジュニアのみなさん
素晴らしいレースをありがとうございました。

また、宿の取りまとめをしてくれた鹿児島のイワキさん
楽しく快適に過ごすことができました。 ありがとうございます。
コウシのサポートをしてくださった光のナカムラキミトシさん、
海上でお世話になった広島のマキハラさん、マツオさん
光レーザーフリートのカツラさん本当にありがとうござました。

遠く北海道から応援してくださった
ムラカタさん
いつも応援本当にありがとうございます。

2010年10月12日火曜日

光合宿

20101009~20101011

光合宿に行ってきた。
宮崎を8時半に出発、
宮崎西インターから高速に乗る。
宮崎からえびのまで、一般道なら60数キロ
高速では約100キロ、
高速は都城を経由しているので距離的には
40キロも遠回りでかなりのストレス

関門海峡の下関側で交通事故が発生していて
抜けるのに40分ほどかかった
500キロ超を走り、午前3時前に交流村到着

後ろで寝ている2人を車に残し、
マットとシュラフを持って、寝場所を探す
小雨を避けれる場所を見つけ3時就寝

今回の合宿には、全日本に出場する選手を中心に
約40名が参加

今回は、光の海面、他艇とのスピード比較、
多艇の中での判断、スタート、ポジショニング等々、
全日を想定した微風から中風での課題を
整理できればと思い参加した。

合宿メニューを消化する中、コウシのセーリングを見ながら
全日までに修正できる、できないを考える。

最終日に行われた4本のコース練習は、5点満点で
スタート4点、1上3点、フリー5点、フィニッシュ3点、
コウシの点数はこんな感じ?
風は南から東の微風から中風、振れ有り、
パフ、ラル有りのむつかしい海面だった。
スタートは積極的に見えた。
海面は見ている側も予想できない強弱、振れがあった。
タックするのかしないのか?するならどのタイミング?
ミスっても、大きく外さないコース取りが・・
うーん ムツカシ

光のみなさんありがとうございました。

2010年9月24日金曜日

トラブル

20100923

午前中、セーリング関係の打ち合わせがあり
昼からハーバーに行く
いい風が吹いていて久しぶりにハイクアウト練習が
できそう。
準備をすませ午後1時半出艇

風向80から90 風速6から8
フルハイクに少し足りない風、
スターボーで波に押され気味に岸側に5分、
タックして沖へ5分走り、フリー
以前より、フラットに注意して乗っているように
感じる。いい感じ

同じような練習を3回ほど繰り返していると
風が上がり、波風が大きく左にシフト

臨海公園南側の平水面へ移動

しばらく休憩のつもりだったが、さらに風が上がり、
平水面であるはずの海面も、かなりの波立ってきた。
コウシ、そろそろ帰ろうや!
最初に沖に出して、大きなうねりを右側から受けながら、
クローズで進む。
後ろから付いていく私のゴムボートは波のトップに乗ると
少しヤバイ感じがする。
コウシが振り返った。
お父さん、少しヤバイよ。南へ戻ろうや!
こちらもヤバイと思ったとこだったので
即、了解して南側へ戻った。
 お父さん、サカモトさんに電話してみて!

私たちが出る時、既にスロープに船台があった。
呼び出し音が数回鳴り、サカモトさんが携帯に出るが、
会話が成立しない。
直後に2度コールしたが、今度は出ない
波風と奮闘中と判断。

スロープからの帰還をあきらめ、
臨海公園南側の砂浜にコウシを着岸させる。
ジェットバイクの方たちがコウシの着岸を
手伝ってくれた。

その間、サカモトさんから着信があっていたが、
私が着信に気がつかなかった。
こちらから2度掛けなおすが圏外アナウンス

海上にゴムボートをアンカリングして
艇庫の細田先生に、管理事務所への連絡を依頼

管理事務所より着信
サカモトさんがまだ着岸していないことを告げ、
3階監視所より、確認できなければ
海保への通報を依頼

すぐに海保より着信
これまでのことを時系列で伝え、
服装、艇、本人の情報についての質問に答える。
この時点で、防災ヘリと海保の巡視船が出動したと聞いた。

ゴムボートを宮崎港奥の海洋高校の桟橋へ回航、
車でピックアップしてもらいサンマリーナへ戻る。

芝生広場の外周には大勢の人がいて、
ディンギーヤードにはレスキューや消防車が10台以上いた
 見つかった、見つからない、救助された、情報が錯綜していたが、
しばらくして、防災ヘリが芝生広場に着陸。
隊員に両脇を抱えられサカモトさんがヘリから降りてきた。

この日、サカモトさんは南防波堤より南へセーリングして
波風が上がってきたので帰港しようとクローズで南から
南防波堤をめざした。
もう少しで南防波堤の内側に入ろうというところで沖からの波で沈、
艇を起こし走り始めるが再度、沈。
ラダーのストッパーが甘くなっていて沈するたびにラダーが外れ、
3度目に沈した際、外れたラダーが流失し、航行不能に陥った。
艇にしがみついていたところ、防波堤南側のテトラに近づいたため
艇を放棄し、救命胴衣の浮力で浮いていた。
私から最初の着信があった時、既に艇体を放棄した後だったそうだ。
波をかぶって応答ができず、1時間ほど浮いていたそうだ。
その間、防波堤先端に居た釣り人に救助を求め、
しばらくして防災ヘリが飛んで来て、救助となった。


無事でよかった。


誰もが、明日は我が身!
いつ救助される立場になるかもしれない。
余裕をもって判断!絶対に無理をしない!

2010年7月31日土曜日

2010小戸カップ

20100731~20100801

小戸カップに行ってきた。
















コウシが夏休みなので、私も休みを取り、
大会前日の金曜日から福岡入りした。
予定ではキャナルシティで遊ぶ計画だったが
キャナルって遊べたっけ?
結局、キャナルでバーゲンの1日だった。
街中に宿をとり、夕食はホテルの前の
赤ちょうちんでもつ鍋を食べた。

土曜日、8時前にハーバーに到着すると
もうセイルが上がっている。
今年も晴天、暑い小戸になりそうだ。
荷物を整理して、兵庫、広島チームの
間に陣取った。

開会式、カツの選手宣誓

小戸といったら、プロテストは
笛吹おねぇさんのタカノさん、
プロテスト紹介の時は選手より
親のほうが緊張してた

この時期、どこの海面でも風の心配をするが、
小戸は期待を裏切らない。
北西の風でレースがはじまった。
 コウシは最初の3本、ジャストスタートを決め
1上をトップで回るが、2上でケイジュに抜かれ
大きく離される。
コウシいわく

 意味がわからん

後続にケイジュがいることが
わかっているのに抑えに入らないオマエが
意味わからんわ!

少しはケイジュに詰め寄る展開を
期待したかったが、差はどんどん広がる。
ケイジュはやっぱりすごい

ケイジュとタツヤは世界選手権を残し、
この小戸カップを最後にOPを卒業?
ケイジュ、タツヤこれまでいろいろ
ありがとう!

夜はレセプションの後、去年同様
タカハラさん、ツボネさんとラーメンを食べに
行ったが、店が閉まっていたので
タクシーの運転手さんのお薦めの店で
チャンポンを食べた
ここのチャンポンなかなかいいかも♪

2日間、楽しいレースでした。
福岡県連、福岡ジュニアのみなさん
ありがとうございました。

JPN2881最後のレースでした。
コウシは次大会からJPN3229で
出場します。

思い出をありがとうJPN2881

2010年7月20日火曜日

B&G西日本大会 2010

20100718~20100719

別府で開催されたB&G西日本大会に行ってきた。

















早朝4時半に宮崎を出発
大会前日の17日から別府に入った。
2次選の時にはまだ砂利道だった艇庫前は、
コンクリートが張られきれいになっていた。
前日、宮崎は梅雨が明けたような夏空だったのに
別府は、重たそうな雲が空を覆っていた。

10時半、練習に出艇
久しぶりにみんなと走り比べてスベリはどうか?
上下練習では、上のほう走れてたけど、
シャベリ多すぎ 集中せんと
みんなと走れる時間、もっと大事にしよう!

去年、このB&G大会でタカヤマさんが
タツヤがあと1年になりましたって言っていた。
コウシ! 今年はお前があと1年
1年なんてあっという間に終わってしまう
海に出る1回1回を大事にしようや!

前日練習が終わり宿に着くと
宿の玄関先で、宿側となにかもめていた。
その後もいろいろもめて、ずーっともめた。
もめた原因、それは宿側の「欲」
最初に互いに決めた料金を上げたいと言い出した。
オープンしたばかりの宿だったが、
一番大事なことが欠けていた。

そんな中、おいしい食事を作ってくれた
鹿児島、光、熊本、福岡、宮崎のお母さんに感謝





























受付(関所じゃありません)














タカハラさんツボネさんの乗るマークボートに
乗せていただいた。














風が振れる度に何度もマークを打ちかえ、
結局、5レース全てマークを打ち換えた。

コウシは大きな振れで上位陣が順位を落とす中、
反対サイドに居て救われたラッキーもあったが、
全体的にスタートの判断が甘く、
きわどいレースをすることが多かった。














別府はやっぱり吹くでしょう!?
とタカハラさん
微風、無風を予想していたが、
この時期のいつもの別府に比べると
今年は程よく吹いてくれたのではないだろうか

レセプション後、今晩は最後までお付き合いしようと
栄養剤を買いにいこうとしていたら、
まさかそのまま帰るんじゃないでしょうね?
ゴトウコーチから暖かいお言葉をいただき、
栄養剤の効果絶大で最後まで
楽しく盛り上がることができた。

「もう1軒いきましょう!」
「ここに入りましょう!」
まだまだ行く気満々のハナ父を
なんとかなだめながら、宿まで辿りつくと
 あっスナックに荷物を忘れた!
  えぇーそれって計画的?
 私ひとりで取ってくるからだいじょうぶです!
ハナ父、1人で取りに行くと帰ってこないかもしれないので
ついていくことにした。
もう一回ハーバー近くのスナックまで歩き、
スナックの扉を開けると親分とレース委員長がまだ居た。
ハナ父大喜び、親分上機嫌
この方々の胃袋にはついていけなかった。

タナカコーチ(昨晩の余韻に浸っているようです)














以前のように遠征先での息子の行動を書けなくなってきた。
艇を下ろしたらほとんど、私の近くにいない。
会話も、水ちょうだい! アレはどこにある?
少し自立してきたのかとうれしい気もするが、
手が掛かっていた頃が懐かしい。

シリーズ中盤のB&G西日本大会が終わった。
終盤戦小戸、唐津、1レース1レース大事に走ってほしい。




























別府ジュニア、B&Gのみなさん
ありがとうございました。

2010年7月11日日曜日

OPTINAM 2010

20100626~20100703

TEAM JAPAN

IODA North American Championship
Kingston, Ontario Canada
















最高のメンバー、最高のコーチ、最高のサポーターだった。
2010北米選手権から帰ってきたメンバーみんながそう言った。
素晴らしい経験と思い出をありがとう。
たくさんの応援ありがとうございました。


4人のセイラーは、感謝する気持ちを忘れず、
みんなに応援される選手を目指し、セーリングを続けていくと思います。